靖国参拝、沖縄はどう見たか

米軍上陸のリサイズ

小泉首相が終戦記念日の昨日、靖国神社を参拝した。
中国、韓国が激しく反発する中での強行参拝に、本土では戦争責任をめぐる歴史認識に関する議論が沸騰している。しかし沖縄の人々は、本土とはやや違った思いでこうした議論を見守っているように思う。

終戦から61年が経ち、本土に暮らす多くの人々にとって戦争責任をめぐる議論とは、“過去の歴史をどう評価するか”という理屈の問題であり、実体験に基づくものではない。沖縄が決定的に違うのは、いまも戦後処理が終わっていない点である。それはいうまでもなく、国内で唯一戦場となり焦土と化した記憶であり、いまも国内の75%が集中する米軍基地の存在である。

昨今、第2次大戦を日本の自衛戦争だと正当化し、東京裁判を否定する風潮が拡がっている。実体験として戦争をとらえられない若者たちが、ナショナリズムを煽るこうした論調に熱狂している。確かに東京裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた裁判であり、いずれ検証する必要はあるだろう。しかし、どう考えても勝ち目がないと分かってもなお戦争を続行し、沖縄を捨て石のごとく地獄の淵に追いやり、広島、長崎に原爆を落とされるまで終戦を決断できなかった指導者に責任がないはずはない。

小泉首相の靖国参拝は国際情勢を鑑みてとても容認できるものではないが、戦後61年経った今、独断的な首相の行動と中国・韓国との摩擦によって、皮肉にもようやく歴史認識や戦争責任について日本人が率直に議論できる土壌ができつつある。首相の靖国参拝をきっかけに、沖縄の過去や現状も含め議論を深めるきっかけになることを切に願いたい。

(写真:嘉手納に上陸するアメリカ軍/昭和20年4月1日)

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