独立5年目の試練

独立5年目に入ったばかりの東ティモールで、騒乱が続いている。

16世紀からのポルトガルによる植民地支配、インドネシアによる軍事介入と併合。長い苦難の歴史を経て独立を果たした人口80万の小国は、国家としての基盤のもろさを早くも露呈した。

今回の騒乱の原因は、国の東部と西部に今だ残る地域対立が根底にあると言われる。独立に積極的だった東部住民から政府高官が多く登用されているのに対し、インドネシア併合を主張した西部住民は冷遇される傾向が強く、その不満が騒乱に発展したようだ。

さらに根底にある問題は、東ティモールという国のあまりの”貧しさ”ではないか。独立1年前の2001年に現地を訪問したことがあるが、あまりの”何もなさ”に驚いた記憶がある。これほど小さな地域が、国家として自立できるのかと素朴な疑問を感じた。しかし、人々の民族意識は想像以上に強く、結果的に東ティモールは独立を達成した。今も東ティモールには、コーヒー栽培以外にこれといった産業もなく、国民の大半は零細の農漁業を営む。唯一の希望は沖合に眠る海底油田であるが、莫大な利権をめぐる勢力争いがすでに水面下で始まっているとも言われる。

あまり知られていないが、太平洋戦争中、日本軍はティモール島を占領していた。この島を拠点に、オーストラリアのダーウィンへの空爆なども行っている。島の外れのジャングルを歩いていると、気さくに流暢な日本語で話しかけてくる老人に出会ったりして度肝を抜かれた。別の老人は私に、”サクラ、サクラ”をフルコーラスで歌ってみせてくれた。その一方で、当時日本軍が徴用した兵補や従軍慰安婦など、日本の”負の遺産”も未だ残されている。

21世紀に最初に独立した国家として歴史に名をとどめた東ティモール。その運命は今も、ひじょうに脆い基盤の上に乗っている。過去に占領という歴史を通して関与した国の人間として、その行く末をしっかりと見守りたい。

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