きのうまで10日ほど、約4ヶ月ぶりに自宅のある沖縄に滞在していた。
そんなさなかの5月15日、沖縄は日本本土復帰39年を迎えた。
県民集会が行われる宜野湾海浜公園を訪れた。
去年は普天間問題の迷走で沖縄が怒りに揺れる中での開催で、しかも当日は大雨。
撮影中にビデオカメラが浸水し使えなくなるという苦い失態を演じた。
今年は幸い雨は降ったものの大雨にはならなかった。
会場では、平和行進に参加してきたという那覇の仲間たちにも出会う。
例年3日間行われる平和行進も今年は大震災の影響で1日だけに縮小され、
本土からの参加者が少ないように感じた。
3月、普天間問題の膠着状態に苛立ったメア元米沖縄総領事が
講演会で「沖縄人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人」などと発言したことが報道され
日本国内にアメリカに対する怒りが沸き起こった。
その直後の大震災。
メア非難報道は消え、在沖米軍は「オトモダチ作戦」で必死の名誉挽回。
米軍の被災地救援そのものには素直に感謝したいが、
だからといってそれが米軍の沖縄駐留を正当化する理由にはならない。
普天間問題では5月に入りウィキリークスの「米外交秘伝公電」が暴露され、
米軍のグアム移転費用や移転人数が意図的に米側に都合よく操作されていたことが分かっている。
そしてそれと前後して米議会では、
「グアム移転の見直し(嘉手納統合案)」や「普天間への居座り(現状維持)」を公言し始めている。
まさに普天間問題は迷走に次ぐ迷走で着地点が全く見えない状況だ。
今年顕著だったのは、東北大震災と原発事故の被災者との連帯を主催者が全面的に打ち出していたことだ。
思えば基地も原発も同じ迷惑施設。
「それでもないと困る!」と政府に説得され、結局は経済的に豊かでない地方に押し付けられる。
その際の見返りは補助金や雇用など。
危険と隣り合わせのアメとムチの構図は全く同じだ。
沖縄には原発はないが、頻繁に寄港する米原潜は放射能漏れ事故も起こしているし、
基地内での核兵器貯蔵疑惑も消えない。
また、多くの出稼ぎ労働者が本土の原発で働き被爆の末亡くなった人もいる。
来年は本土復帰40年の節目だ。
基地問題と原発問題の連携は、
大震災後の私たちが進むべき新たな道を模索するうえで、
重要なメッセージを放っているのではないだろうか。