中東の反政府デモが拡大し続けている。
なかでもバーレーンでのシーア派住民によるデモは、隣国サウジアラビアをはじめシーア派を抱えるアラブ諸国を大きく揺さぶっている。
2005年末、イラク戦争後のシーア派の台頭を取材するためバーレーンに入った。最大の目的はシーア派宗教団体 Al-Wefaq Islamic National Institute(別名Islamic National Accord Association)の若き指導者、アリ・サルマン師(Sheik Ali Salman)に話を聞くことだった。今回のバーレーンの反政府デモにおいても中心的役割を果たしている人物である。
バーレーンはハリファ王家を中心とする少数派のスンニ派が多数派のシーア派を支配する王国である。かつては議会もない絶対君主制だったが、90年代以降シーア派による暴動が激化し2002年、ようやく立憲君主制に移行したばかり。しかしいまだに2級市民扱いで就職などでの差別が続いてきた。失業率は15パーセントにも上る。
首都マナマの中心部に高層ビルが林立するのと対照的に、シーア派住民が暮らす地区はどこも貧しかった。町のあちらこちらにイランイスラム革命の指導者ホメイニ師やイラクのシーア派指導者シスターニ師のポスターが掲げられているのが印象的でもあった。
バーレーン議会を訪ねた。議席わずか40名という小さな議会は、町議会のようなのどかな雰囲気。首相は選挙ではなく国王の任命で決まるなど憲法に不備が多いためシーア派は選挙をボイコットするなど、完全な民主主義とはとても言いがたい。
団体の事務所で会ったサルマン師は当時40歳。流暢な英語を話し、実に穏やかで笑顔が印象的な青年だった。一見、宗教指導者とは思えない独特な雰囲気を持っている。しかしその雰囲気は一方で、誰にも好感を与えるようにも思えた。イランの宗教都市コムで学んだサルマン師は90年代のシーア派による暴動のさなか国外追放されるがその後もロンドンを拠点に反体制運動を続け、2001年に帰国。穏健派路線で改革を訴えてきた。当時からサルマン師はイランのような宗教国家を目指すのではなく、バーレーンにおいては真の立憲君主制を目指すのだと表明していた。
反政府デモによって死者が出るにいたり今回、サルマン師は会見でたびたび、イスラム国家を目指さないことを強調している。デモを弾圧するのではなく、シーア派との穏やかな話し合いのテーブルに着くことがバーレーン政府に何よりも求められることだろう。弾圧すれば弾圧するほどシーア派住民の怒りに火がつき、エスカレートするだけだろう。なぜならシーア派においてはデモによる死もまた殉教ととらえられ、カルバラの悲劇になぞらえて神格化されるからだ。マナマのシーア派墓地には、こうして殉教した若者の墓碑がたくさんあり、参拝者が絶えないように見えた。
サルマン師は若者に絶大な支持を受けているという。ホメイニ師やシスターニ師とは違う、民主主義を目指す新たなシーア派指導者の今後の動向に注目したい。
(写真はすべて2005年撮影)


