イランの風土と人々が好きだ。
「義理と人情」、「誇り」、「恥」、、
彼らが重んじる気風は、私たち日本人にとてもよく似ている。
7年ほど前、ケルマンシャーというイラク国境近くのクルドの町でのこと。
夜、現地ガイドのイラン人が旧市街に食事に連れて行ってくれるという。
迷路のように入り組んだ狭い道をおんぼろタクシーでさ迷っていると、
坂道で突然エンスト。。
運転手とぼくら3人で押してもどうしても動かない。
すると、どこからともなく店じまいしたばかりの商店主たちが駆けつけてきて、
何も言わずにみんなでヨイショ、ヨイショと車を押し始めた。
隣で車を一緒に押しながら、
ガイドのおじさんが僕の方を振り向いて嬉しそうに言ったひとことが今も忘れられない。
” Nitta-san ! This is Life ! “
これがイラン人である。
EUが米国に続き、イラン産原油の禁輸を決議した。
国際社会のイラン包囲網が、狭められてきた。
いつも思うのだが、
メディアは一方的にイランの脅威を煽り立てるだけで、
実際に何がどう脅威なのかは報じられない。
制裁の理由は、「イランが核兵器を開発している」というものだが、
明確な証拠が示されたのを、私はみたことはない。
イランは、
”高濃度ウラン濃縮”を核燃料リサイクル計画だど主張し、
アメリカは、
”核兵器開発だ”と糾弾する。
このイタチごっこが10年近くずっと続いている。
この間、
アメリカは今回と同様の言いがかりをつけイラクに侵攻。
しかしその結果もたらされたのは、
中東地域でのシーア派の急激な台頭だった。
それは同地域でのイランの覇権拡大を意味する。
アメリカは中東で完全に敗北したのだ。
その焦りが明確にのぞく。
そして今年は大統領選。
イラク、アフガニスタンでの戦争を終えたアメリカは、
まるで次の敵を探しているかのようだ。
隣国に大義もなく侵攻されたイランは、
核武装を考えても不思議ではない。
もちろん決して許されないことであるが、
核兵器を保有し今も戦争を繰り返している国に、
強大な軍事力を背景に「世界の安全のために止めろ」と言われても、
彼らにとってほとんど説得力はないだろう。
ましてやイスラエルが核兵器を保有していることは、
もはや国際社会の常識と化しているというのに。
イラク戦争前夜のようなきな臭い雰囲気が漂っている。
何があっても、これ以上中東で血が流されるような事態を許してはならない。
後日談がある。
翌年、再びイランを取材で訪れた時のこと。
冒頭のガイドのおじさんは些細なことがきっかけで、
その頃はメディアとの折り合いが悪くなり私との交信も途絶えてしまっていた。
ある日突然、私はイラン当局から身に憶えのない理由で呼び出され、国外退去を命じられた。
アフマディネジャド政権が外国メディアへの規制を強めていた時期でもあったのだが、
背後にはあのおじさんの”いたずら”があったとの噂も。。
真相は今も分からない。
これもまたイラン人である。